月イチ連載「杉下由美の終活コラム」月イチ連載「杉下由美の終活コラム」

Vol.2  葬儀は大きなグリーフケア

  • 杉下由美氏の在りし日のお父様

 あと2ヶ月で20歳の誕生日を迎える時に、私の父が急逝しました。30年以上前の出来事で恐縮ですが、この時の葬儀で癒しを感じていたのです。その時はわかりませんでしたが、今になってみると、それは大きなグリーフケアだったのだと思います。そして、その葬儀で、知らなかった父のいろんな顔を知り、私は一層のファザコンになりました。
 
 土曜日の朝、父は会社の草野球に参加するために早起きして、支度をしている最中でした。
その時、まだ布団の中にいた私は「お父さんが倒れたから、救急車を呼んだ」と、母に起こされ、慌てて着替えながら「お母さん、保険証持っていかなくちゃ!」と、言ったのを覚えています。病院に運ばれると聞いて、何かしなくちゃと思った時に出た言葉でしょう。兄と弟も、母に起こされ、救急車の到着まで横たわった父のもとで落ち着かない様子です。
玄関には、草野球のために父を迎えにきた会社の人が、胸に社名の入った野球のユニフォームを着てびっくりした様子で立っています。この時の様子は妙にはっきりと絵になって覚えています。
 
 そこに到着した救急隊は、父の様子を一通りチェックして、そのまま父を搬送せずにおいていきました。すでに父は亡くなっていたのです。50歳でした。
 
 ちょうど来ていた父の会社の人と母で、この後のことを相談し、まずは町内会長さんに葬儀社を教えてもらいます。そして電話であちらこちらに父の訃報を知らせ、家の中が慌ただしくなっていきました。葬儀社の人は、ベットにいた父を、和室の布団に移し、白い着物を着せ、お線香やろうそくを置き、お見送りのための準備を手早く丁寧に進めていきます。ぼんやりと眺めていた自分。そういえば、母に「まだ温かいわよ」と言われても、父に触れなかった事が今でも悔やまれています。そのうち祖父母や親戚が到着し、親しい友人が現れ、マンションの部屋は人でいっぱいになっていきます。
 
 これから葬儀が終わるまでの数日は、あまりの慌ただしさで悲しんでいる暇がありません。葬儀の後、1週間ほど寝込むのですが、その時は葬儀の場で得た癒しで 父が居なくなった事をぼんやりと受け止められるほどにはなっていました。今になって思えばですけどね。
 
 19歳の私は、父は「父親の顔」しか知りません。転勤族で2~4年で引越しをする生活では、地元にご縁が出来る間もなく、父の関係者は親戚と会社の人くらいしかいないのです。そこでは、いつも「父親」でした。でも、この葬儀の時に大学時代の友人が私たちに語ってくれた「学生時代の父」や、「新婚時代の父」は、私が知らない青年でした。スポーツを楽しみ、友と酒を酌み交わす青年なんです。活き活きと青春を謳歌し、そして母と出逢った頃の話を聞きました。会社の人からは、精力的に仕事をし、取引先や部下から慕われていたサラリーマンとしての父を教えてもらいます。家庭の父親からは想像がつかなかった姿でした。そして、親戚からは、少年時代の彼の話をたくさん聞かせてもらいます。腕白な男の子だった父の姿です。その時に私の中で出来上がった父の姿は、今でも私の宝物です。たくさんの人が語ってくれた父をとても大切に想っています。素晴らしい人生だったなぁと、感謝と尊敬で胸が暖まります。たぶん、そのせいだと思いますが、私の中で父は亡くなっていないのです。居なくなっただけで、亡くなっていないのです。不思議な感覚です。そして、50歳という働き盛りで急逝した父の葬儀には、とても多くの方が参列してくださいました。霊柩車が発車する時、父を送るという想いをたくさんの方と共有できた事がとても有りがたかったのです。
 
 今、友人から訃報を頂くとお悔みと共に「故人様のお話を皆さんでたくさんしてください」と伝えています。家族葬で集まっている親しい人たちには、一人一人に大切な思い出がきっとあります。そのお話を皆さんで共有して 故人のことを想っていくことが、その後のグリーフケアに大きな力を発揮すると私はおもっています。精一杯生きた人生を、みなさんで讃えてください。ずっこけた話もすべて素晴らしい人生だったはずです。弔電や、共花で送られてくるお悔みの心や、日を改めて催される「送る会・しのぶ会」でも、同じようにその人と共に生きた歳月を 皆さんで愛でて、讃えて、共有していくことで大きなグリーフケアになるのです。
 
 葬儀は残される人にこそ、とても大切なセレモニーなんです。そして、故人の人生を讃える大切なセレモニーなんです。そこから生まれる想いが大きなグリーフケア(悲しみを癒すこと)になっていくのです。
 


<杉下由美氏プロフィール>
ファッションデザイナー歴30有余年を経て、6年前に終の衣装ブランド『エピローグドレス「光の庭」』を立ち上げる。
独特な世界観を活かした葬送の品をもプロデュース。
その取り組みは、各メディアで高く評価され独自の活動に注目が集まる新進気鋭のエピローグドレスデザイナー。
舌鋒鋭く、パーソナリティと発言でも群を抜く個性を発揮している。

 

 

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